朝日日本歴史人物事典 「新上東門院」の解説
新上東門院
生年:天文22(1553)
安土桃山から江戸初期の后妃。後陽成天皇の生母。勧修寺晴右の娘。母は粟屋元子。名は晴子(または秀子)。正親町天皇の第1皇子誠仁親王に上臈として仕え,阿茶局と称される。親王との間に後陽成天皇,智仁親王ら多くの王子女を儲けた。後陽成天皇践祚後,准三宮宣下を受け准后と称され,さらに院号宣下によって新上東門院となり,女院と称される。朝廷内において発言力を得,江戸幕府将軍徳川家康にとっても朝廷問題に対処する上で重要な存在となった。墓所は京都泉涌寺山内の月輪陵域にある。<参考文献>『皇室制度史料 后妃』1・5巻,熊倉功夫『後水尾院』
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報