御壇小路(読み)ごだんこうじ

日本歴史地名大系 「御壇小路」の解説

御壇小路
ごだんこうじ

[現在地名]相馬市中村(なかむら) 大手先(おおてさき)・川原町(かわらまち)

会所(かいしよ)町の南に続く南北八二間の通りで、慶長一六年(一六一一)以来の武家屋敷が並ぶ。南東隅に真光(しんこう)寺の寺域(現在の曹洞宗円応寺の寺地)があり、天授院(相馬盛胤)の廟壇があったのが町名の由来である。なお、幕末には円応(えんのう)寺境内は東の下河原(しもかわら)町西横(にしよこ)町の西側北角とされている。御壇小路は東御壇小路ともよばれ、その西に並行する南北一一二間の中(なか)小路を中御壇小路、さらにその西に並行する南北一四二間の西(にし)小路を西御壇小路とよぶこともあり、いずれも慶長一六年以来の武家屋敷が置かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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