下河原(読み)しもがわら

日本歴史地名大系 「下河原」の解説

下河原
しもがわら

[現在地名]盛岡市清水町しみずちようなど

大清水おおしみず小路南西の坂下から北上川河岸のすぎ土手までの間をいう。当地から東の川原かわら町の方へ流れる堰は、北上川の古川跡。寛永城下図には古川と記され、古川の岸に沿って下流へ土手が続き、北西端の角から川原町まで三九八間、新穀しんこく町惣門脇から北西端角やや下流に描かれる川除けまで三九八間とある。内史略本「盛岡砂子」によれば、下河原の坂下から西半町ほどを元餌差もとえさし小路といい、「延宝以前北上川は大清水の坂の下を流、下河原御普請有て餌差丁と成、其後洪水にて土手破れ、男女多く死す」とある。延宝三年(一六七五)に新土手が築造され、元文城下図には北西部に勧請された多賀たが大明神が描かれる。


下河原
しもかわら

[現在地名]東山区下河原町・鷲尾町・月見町・上弁天町下弁天町南町・毘沙門町・清井町

現在の下河原町を中心に、西は東山安井やすい辺りまでを含んだ称。「坊目誌」に「下河原は汎き称号にして、今云清井町より西は建仁寺を限り、南は五条今の松原宮の辻に至りしと云ふ」とする。後に下河原遊里とよばれた地域は、下河原町・清井町・上弁天町・鷲尾町にわたっている。安井門跡の所在地を「京東山下河原 蓮花光院安井門跡」(京都御役所向大概覚書)と表記する例もあり、また七観音の所在地(南町)を下河原と記すこともある(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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