相馬市(読み)ソウマシ

デジタル大辞泉 「相馬市」の意味・読み・例文・類語

そうま‐し〔サウま‐〕【相馬市】

相馬

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日本歴史地名大系 「相馬市」の解説

相馬市
そうまし

面積:一九七・六〇平方キロ

福島県の北東部、浜通りの北部に位置し、東は太平洋に面し、南は相馬郡鹿島かしま町・飯舘いいたて村、西は伊達郡霊山りようぜん町、北は宮城県伊具いぐ丸森まるもり町・相馬郡新地しんち町に接する。市の西部を阿武隈高地が走り、霊山(八二三・五メートル)古霊山ふるりようぜん(七八二・五メートル)手倉てぐら(六七二・一メートル)天明てんみよう(四八八メートル)羽黒はぐろ(三四五・八メートル)塩手しおて(二八二・一メートル)などが連なる。山間部より東は標高二〇〇メートル以下の丘陵となり、これら丘陵の間をいずれも阿武隈高地に水源をもつ宇多うだ川・小泉こいずみ川・地蔵じぞう川・日下石につけし川が浸食谷をつくって流れる。やがて標高二〇―五〇メートルの段丘が続き、各河川によって形成された三角洲の沖積層は水田地帯をなす。なお、太平洋岸は砂浜と海岸段丘となっている。宇多川・小泉川・日下石川の流末に潟湖の松川まつかわ浦があり、県立自然公園に指定されている。地蔵川の流末には、かつて新沼にいぬま浦があったが、大正一〇年(一九二一)から干拓工事が進められ、昭和一五年(一九四〇)に消滅して水田化された。現在は相馬中核工業団地東地区として造成工事が進められている。

気候は海洋の影響が強い表日本型であり、冬は真冬日が平均二日と比較的温暖で降雪量が少なく、夏は真夏日が平均一六日と割にしのぎやすい。降水量は年間一三〇〇ミリ程度と少なく、とくに冬は乾燥する。相馬市街を中心に南北にJR常磐線と国道六号が走り、前者には相馬と日立木につたきの二駅がある。同市街からは、阿武隈高地を越えて福島市に至る国道一一五号と、新地町を経て宮城県に入る国道一一三号も延びている。市名は江戸期に中村城を居城とした相馬氏にちなむ。

〔原始・古代〕

縄文時代前期の遺跡としては、大坪おおつぼ山田やまだB遺跡および椎木しいのきだんはら遺跡において大規模な集落跡が発見されている。大坪と黒木くろきにまたがる馬見塚まみづか遺跡は縄文時代前期末から晩期にかけての集落跡で、ほかに磯部の山信田いそべのやましだ貝塚や程田の朝日前ほどたのあさひまえ貝塚など多くの縄文時代後期から晩期にかけての遺跡がみられる。成田の藤堂塚なりたのとうどうづか遺跡は弥生時代初期の墓跡とされる。前記の山信田貝塚は土師器や紡錘形土錘を包蔵する複合遺跡で、土師器を出土した磯部のむかい貝塚とともに、新しい時期の貝塚として注目される。須恵器を包蔵するものとしては椎木の北原きたはら遺跡が知られ、七世紀前半に生産を開始した窯跡群である善光寺ぜんこうじ遺跡では、古代末から中世にかけての経塚や掘立柱建物跡などもみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相馬市」の意味・わかりやすい解説

相馬〔市〕
そうま

福島県北東部,浜通り北部にある市。1954年中村町と大野村飯豊村磯部村,日立木村,八幡村,山上村,玉野村の 7村が合体して市制。太平洋に面し,中心市街地は宇多川沿岸の中村地区。慶長16(1611)年以来相馬氏 6万石の馬陵城の城下町。明治維新後,郡役所の設置,国鉄常磐線の開通により相馬郡内の行政,教育の中心となった。ノリ,カキ,アサリの養殖のほか,特産品にウマを描いた相馬駒焼がある。付近には原釜尾浜海水浴場や国指定重要文化財の相馬中村神社がある。毎年夏になると,1000年の伝統をもつ国指定重要無形民俗文化財である相馬野馬追いが行なわれる。原釜相馬港を中心に臨海工業団地が建設された。海岸部は松川浦県立自然公園に属する。国道6号線が通り,113号線,115号線の分岐点。2011年,東北地方太平洋沖地震に伴う津波により大きな被害を受けた。面積 197.79km2。人口 3万4865(2020)。

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