御山荘(読み)ごさんそう

日本歴史地名大系 「御山荘」の解説

御山荘
ごさんそう

[現在地名]津市広明町

下部田しもべた集落西の丘陵東南端近くに作られた津藩主の庭園。もと下部田山あるいは御殿ごてん山とよばれた。はじめは藩主の鷹狩場の休憩所の御殿が建てられたといわれ、承応(一六五二―五五)の頃、家臣に分ち与えられていた(「仁右衛門家所蔵山館記」津市史)。眺望絶佳のため家老中川蔵人の「くらんど山」、藤堂隼人の「はやと山」、岡本五郎左衛門の「ごろう山」、弓道師範の吉田六左衛門の吉田山などの山荘が営まれ、また藩医長良顧斎の別邸があり、薬草園が作られ、芭蕉などが栽培された。

一一代藩主高猷が安政三、四年(一八五六、五七)頃より家臣より買上げ山荘造成を計画、江戸藩邸より染井吉野桜や紫躑躅、藤堂家発祥地の近江国犬上いぬがみ(現滋賀県)からゆかりの藤を移植して庭園とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む