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偕楽園 かいらくえん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

偕楽園
かいらくえん

茨城県水戸市にある公園。旧称常磐公園。梅園(→ウメ)が有名で,金沢の兼六園,岡山の後楽園とともに日本三名園の一つに数えられる。面積約 11万500m2。天保12 (1841) 年,9代水戸藩主徳川斉昭 (烈公) が千波湖を望む景勝の地に造営。中国の『孟子』(→孟子)の一節「民と偕 (とも) に楽しむ」より命名され,当時から庶民の入園が許された。園内には梅樹数千本とツツジ,ハギなどがあり,楽寿楼のある好文亭,斉昭の『偕楽園記』の碑など多くの史跡や建物,常磐神社がある。1922年国の史跡,名勝に指定。水戸県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディアの解説

偕楽園【かいらくえん】

茨城県水戸市にある公園(史跡・名勝)。常磐(ときわ)公園ともいい,日本三名園の一つ。1842年水戸藩主徳川斉昭(なりあき)が〈士民と偕(とも)に楽しむ〉趣旨で造園,面積13万8000m2
→関連項目茨城[県]公園後楽園(岡山)水戸[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

かいらくえん【偕楽園】

茨城県水戸市常磐町にある公園。1842年(天保13)水戸藩主徳川斉昭が開設した。千波湖をのぞむ台地上に好文亭,奥御殿などを設け,約150種,1万株といわれる梅樹があった(現在は約60種3000株)。広場は練武に,好文亭は望楼に,梅園は飢饉と軍旅の用にあてることを意図している。また園内にある斉昭自筆の〈偕楽園記〉碑には,〈余暇に休養する場,また衆と偕(とも)に楽しむ場としてこの園を造る〉と述べられている。

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大辞林 第三版の解説

かいらくえん【偕楽園】

水戸市にある公園。水戸藩主徳川斉昭が1842年造営させたもの。日本三名園の一。観梅の名所。

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国指定史跡ガイドの解説

かいらくえん【偕楽園】


⇒常磐公園(ときわこうえん)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

偕楽園
かいらくえん

水戸市常磐(ときわ)町にある庭園。1665年(寛文5)水戸藩2代徳川光圀(みつくに)がこの地の緑丘御殿山の地に西湖(さいこ)を設け、高枕亭(こうちんてい)をつくったのに始まる。その後170年以上たった1841年(天保12)5月中旬に、9代斉昭(なりあき)が新しく経営に着手し、翌年7月に完成した。このときに好文亭(こうぶんてい)や楽寿楼(らくじゅろう)などが設けられ、現状のようになった。もともと平庭としての眺望を目的とした風景園であるから、外景も取り入れ、千波湖(せんばこ)を庭の泉水に擬し、長堤をつくって並木を植え、梅林や竹林、楓(ふう)樹林をあつらえ、さらに箕川(みかわ)を入れて新川を設け、これにヤナギ、カエデ、ヤマブキなどを植栽して自然景観を楽しんだ。民と「偕(とも)に楽しむ」の意で名づけられたこの庭園を、斉昭は庶民の遊園として開放し、公園の先駆け的思想を打ち出した。好文亭前の大刈込みや石組(いわぐみ)以外は、自然風景を主体とした意匠で、他の日本庭園とは大いにその性格を異にしている。常磐公園の名称で国の史跡・名勝に指定されている。[重森完途]

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