御牧城跡(読み)みまきじようあと

日本歴史地名大系 「御牧城跡」の解説

御牧城跡
みまきじようあと

「後法興院記明」応八年(一四九九)九月二六日条に「自早朝宗益責落御牧城放火、頸九討捕云々」とあり、山城上三郡、すなわち綴喜・久世乙訓郡の守護代赤沢朝経(宗益)が御牧城を攻めている。この時だれが居城していたか分明でないが、当時幕府に敵対していた畠山尚順に属していたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む