御牧城跡(読み)みまきじようあと

日本歴史地名大系 「御牧城跡」の解説

御牧城跡
みまきじようあと

「後法興院記明」応八年(一四九九)九月二六日条に「自早朝宗益責落御牧城放火、頸九討捕云々」とあり、山城上三郡、すなわち綴喜・久世乙訓郡の守護代赤沢朝経(宗益)が御牧城を攻めている。この時だれが居城していたか分明でないが、当時幕府に敵対していた畠山尚順に属していたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む