御牧城跡(読み)みまきじようあと

日本歴史地名大系 「御牧城跡」の解説

御牧城跡
みまきじようあと

「後法興院記明」応八年(一四九九)九月二六日条に「自早朝宗益責落御牧城放火、頸九討捕云々」とあり、山城上三郡、すなわち綴喜・久世・乙訓郡の守護代赤沢朝経(宗益)が御牧城を攻めている。この時だれが居城していたか分明でないが、当時幕府に敵対していた畠山尚順に属していたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 多数の語を集録し、一定の順序に配列して一つの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。語のほかに接辞や連語・諺なども収める。また、語の表記単位である文字、特に漢字を...

辞書の用語解説を読む