徳淵村(読み)とくのふちむら

日本歴史地名大系 「徳淵村」の解説

徳淵村
とくのふちむら

[現在地名]甘木市徳渕

金丸かなまる村の南、佐田さだ川の下流平野部に位置する。下座げざ郡に属し、南は八重津やえづ村、東は林田はやしだ村。得淵などとも書いた。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「得淵」とみえ、当地の七町は安楽寺(太宰府天満宮)領であった。小早川時代の指出前之帳では八重津村に含まれて高付されていた。慶長四年(一五九九)当村と八重津村で合せて四四七石余などが日野景幸に与えられている(同年三月三日「小早川秀秋宛行知行方目録」萩藩閥閲録)。江戸時代を通じて福岡藩領。慶長七年の検地高は三六九石余、うち大豆六一石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高三六九石余・反別二四町八反余、家数一四・社一、人数七七(田圃志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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