朝日日本歴史人物事典 「徳王丸西仏」の解説
徳王丸西仏
鎌倉時代肥後の大百姓,もと守山荘(熊本県小川町)の住人で,八代荘の飛び地小隈野村宮山(熊本県豊野村下郷)の草分け百姓の娘十万と結婚,一代で所従,牛馬,名田を持つ大百姓となり,八代荘八千把(八代市)にも田地を有するに至った。死後,後妻の 性妙 と先妻の娘鬼久曾や庶子と称する犬の子やその夫らによって,徳王丸の遺した「百姓職」の相論が展開され,これらを通じて当時の農民の婚姻,相続,交通圏などが知られる。関係史料「舛田家文書」(『熊本県史料中世篇』3)を伝える舛田家は,今日に徳王丸の祭りをはじめ中世以来の遺風を伝える。
(工藤敬一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報