心楽庄(読み)しむらのしよう

日本歴史地名大系 「心楽庄」の解説

心楽庄
しむらのしよう

現青垣町西部にあたる明治期の神楽しぐら村辺りに所在したと考えられる庄園。成立事情、あるいは領家・本家などについては不明。観応二年(一三五一)一月二〇日、「丹波国心楽庄地頭職仙波三郎左衛門尉跡」などが久下頼直に勲功の賞として宛行われている(「足利義詮袖判下文」久下信生家文書)。文和二年(一三五三)一一月二〇日当庄地頭職は代官「樹兵ママ尉」に預けられた(「行契打渡状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む