出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
中世・近世の武士社会において主人が家臣の所領の知行を改めて確認(安堵)した文書をいう。これにより法律上の保護を受けることができた。安堵状は鎌倉幕府では下文(くだしぶみ),下知状(げちじよう),御教書(みぎようしよ)を用い,安堵の下文のように称せられた。惣領が一括して所領を知行するときは安堵の下文を惣領へ下し,分割知行した場合は嫡子へは下文を,庶子分には下知状を用いた。のち嘉元年間(14世紀はじめ)にこの区別をやめて両者とも申請者の提出した譲状の余白に執権・連署が安堵した旨を記し,署判して当該者へ返付する方法になった。いわゆる安堵の外題(げだい)である。南北朝時代足利氏は所領の充行(あておこない)には尊氏の下文,安堵には直義の下文を用いた。義詮・義満両代は将軍の下文と袖判の御教書が用いられ,15世紀はじめ以降は後者のみになった。戦国大名は判物(はんもつ)あるいは印判状を用い,江戸時代では将軍は判物,または朱印状を,大名は判物あるいは黒印状を用いた。
執筆者:高橋 正彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
武家社会において、主君が家臣の旧来の所領の支配、保持を保障し確認した文書のこと。形式によって安堵下文(くだしぶみ)、安堵下知状(げちじょう)、安堵御教書(みぎょうしょ)などに分けられる。鎌倉時代では御家人(ごけにん)の所領の譲渡がされると、相続人は安堵申状(もうしじょう)に譲状(ゆずりじょう)などの証拠書類を添えて幕府に提出した。幕府はこれを審査し正当であれば安堵状を下付した。安堵状は惣領(そうりょう)には下文、庶子には下知状形式で出されたが、1303年(嘉元1)から譲状の余白に安堵の旨を書き込む外題(げだい)安堵の形式に改められた。室町幕府も初期には足利直義(あしかがただよし)の安堵下文で安堵がなされたが、3代義満(よしみつ)以後は将軍から発給される御判御教書(ごはんのみぎょうしょ)の形式が一般化した。その後、戦国時代には戦国大名による判物(はんもつ)、印判状(いんばんじょう)形式の安堵状がみられる。また、近世に入ってからも将軍や受封者の代替りに際しては判物や朱印状(しゅいんじょう)による安堵が行われ、依然武家社会の主要文書として作成されていた。
[加藤 哲]
『相田二郎著『日本の古文書』(1949・岩波書店)』▽『佐藤進一著『古文書学入門』(1971・法政大学出版局)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新