日本歴史地名大系 「志万庄」の解説 志万庄しまのしよう 京都府:綾部市大島村志万庄古代の志麻(しま)郷(和名抄)に立荘されたと考えられる。初見は養和元年(一一八一)一二月八日付後白河院庁下文案(新熊野神社文書)で、「丹波国 吾雀庄 志万庄」と記され新熊野(いまくまの)社(現京都市東山区)領二八所の一として吾雀(あすすぎ)庄とならびあげられている。現上延(うわのぶ)町東光(とうこう)院蔵の大般若写経奥書(室町末期、一部平安中期)に「丹波国何鹿郡志万庄法隆寺」、あるいは文明六年(一四七四)六月付の同経奥書に「上志万庄宝隆寺」と記される。ここにみえる法(ほう)(宝)隆(りゆう)寺は東光院の古名で、延(のぶ)・大島(おおしま)辺りがかつての志万庄であったことを示している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報