綾部市(読み)アヤベシ

デジタル大辞泉 「綾部市」の意味・読み・例文・類語

あやべ‐し【綾部市】

綾部

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日本歴史地名大系 「綾部市」の解説

綾部市
あやべし

面積:三四八・四九平方キロ

丹波高原の東北端に位置する。市域の約八割を山林が占める山間部であるが、地勢によって三つの地域に分けられる。東北部は六〇〇―八〇〇メートルの山が連なり、福井県境近くに水源を発する上林かんばやし川が山間を蛇行して南西方向に流れ、その流域には帯状に水田が開かれる。この上林川流域を上林谷とよぶ。また上林川が由良川本流に合流する辺りは谷底の浸食が著しく、数段にわたって河岸段丘が形成されている。この辺りを山家やまがとよぶ。西北部は三〇〇―四〇〇メートルの山地であるが比較的開析が進み、丘陵の縁辺に集落が広がる。この地域から由良川に注ぐ川によって、東方の八田やた川流域を八田・吉美きみとよび、西方のさい川流域を上流から志賀しが物部ものべ豊里とよさととよんでいる。ただし八田北端は伊佐津いさづ川最上流域で、川は北流して舞鶴湾に注ぐ。南西部は由良川本流の沿岸に沖積地が広がり、福知山市東部と併せ福知山盆地とよばれている。この地域を綾部・中筋なかすじ佐賀さがとよんでいるが、なかでも綾部が市域の中心部で市街の発達が著しい。

綾部市は何鹿いかるが郡一町一三ヵ村(明治二二年)が三次の合併によって市制に移行し、その中核が綾部町であったので綾部を市名としたものである。綾部の地名初見は平城宮出土木簡で「丹波国綾部□□」とある。「和名抄」刊本には郷名として「後部」とあるが、これは「漢部」(高山寺本)の誤記であろうと思われる。中世は「漢部御厨」(神鳳鈔)・「漢部村」(上杉家文書)と記したが、江戸中期以後は綾部と書くようになった。なお市鳥のイカル(マメマワシ)は何鹿郡の地名起源にちなみ指定されたものである。

〔原始〕

先土器時代の遺物としてナイフ形石器(以久田野台地)・彫刻刀形石器(上杉町)・円盤状石器(西原町)・尖頭器(西原町・味方町)などが出土している。いずれも由良川やその支流沿いの台地上から発見されたものである。

縄文時代の遺物としては、石鏃(味方町・石原町)や石剣(十倉中町・故屋岡町)・石冠(十倉志茂町)・石斧(寺町ほか)などが知られている。縄文土器として確認されたものは今のところ青野あおの遺跡(青野町)出土の土器片のみである。

弥生時代の遺物の発見はほぼ市内全域に及ぶ。なかでも注目すべき遺跡はたち遺跡(館町)と青野遺跡である。館遺跡は犀川左岸の台地上にあり、式内社赤国あかくに神社の境内を中心に土器・石斧・砥石・鉄滓などが発見されている。青野遺跡は由良川左岸の自然堤防上にある複合遺跡で、昭和四七年(一九七二)の発掘調査によって一六基以上の住居跡が発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「綾部市」の意味・わかりやすい解説

綾部〔市〕
あやべ

京都府中北部,福知山盆地東部,由良川に沿う市。1950年綾部町と中筋村吉美村山家村,西八田村,東八田村,口上林村の 6村が合体して市制。中心市街地綾部は,古代の渡来人機織りを始めたのが起こりで,地名は秦氏の部族,漢部(あやべ)に由来。寛永10(1633)年以降,明治維新まで九鬼氏城下町。明治以降,有力な製糸業地となる。今日では製糸に代わって,ナイロン婦人靴下の製造などが行なわれる。ほかに木材,マツタケ黒谷和紙を産出。光明寺(二王門は国宝),照福寺(庭園は国指定名勝),私市円山古墳(きさいちまるやまこふん),聖塚・菖蒲塚古墳(ともに国指定史跡)があり,また,江戸時代に九鬼氏が創立した旧藩校の篤信館,綾部―山家間の由良川渓谷(丹波ライン)などの名所,景勝地がある。第2次世界大戦前は大本教の本部所在地として全国から信者が集まり繁栄した。丹波焼コレクション(→丹波焼)は国の重要有形民俗文化財。京都から日本海沿岸にいたる交通の要地で,JR山陰本線が通じ舞鶴線を分岐。舞鶴自動車道,国道27号線が通る。面積 347.10km2。人口 3万1846(2020)。

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