吾雀庄(読み)あすすぎのしよう

日本歴史地名大系 「吾雀庄」の解説

吾雀庄
あすすぎのしよう

古代の吾雀郷(和名抄)に立荘されたと考えられる荘園。荘名は養和元年(一一八一)一二月八日付後白河院庁下文案(新熊野神社文書)に、「可永停止当社領諸国庄園弐拾捌箇所、充課 勅事院事役夫工大甞会斎宮(ママ)行公卿勅使宇佐使乳牛役造内裏雑事及臨時国役事」として列挙された二八ヵ荘のうちに「丹波国 吾雀庄 志万庄」とみえる。

この時当荘は後白河院が永暦元年(一一六〇)院御所法住寺殿ほうじゆうじどの(跡地は現京都市東山区)鎮守として建立した新熊野いまくまの神社(現京都市東山区)領であったが、「以散在庄園被寄進彼仏聖灯油料以降、計星霜者既二十余年」とあるので、建立と同時に寄進されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android