志井村(読み)しいむら

日本歴史地名大系 「志井村」の解説

志井村
しいむら

[現在地名]小倉南区志井一―六丁目・志井・志徳しとく一―二丁目・企救丘きくがおか二丁目・志井公園しいこうえん志井鷹羽台しいたかはだい徳力とくりき四丁目・同七丁目

堀越ほりこし村の西にあり、むらさき川右岸の志井山を越えた平地にあたる。元和八年人畜改帳に志井村とみえ、御蔵納分の高四三五石余、給人六人分の高四八五石の二筆で、家数一一九、人数二五〇(うち百姓一七・名子七・坊主二・山ノ口一)、牛三九・馬一八。郷村高帳では高九二〇石余、うち新田高一六七石余。幕末の各村覚書では本高七五二石余、田五五町三反余・畠一九町余、物成三八九石余、竈数九七・家数一九九・人数三七九、郷筒四、牛五三・馬三〇、妙見社、福楽ふくらく(現浄土宗西山派)など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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