日本歴史地名大系 「志多見村」の解説 志多見村しだみむら 埼玉県:加須市志多見村[現在地名]加須市志多見北は会(あい)の川を境とし、南は阿良川(あらかわ)村、西は串作(くしつくり)村と接する。会の川南岸に発達した河畔砂丘は、周囲より四―六メートルも高く志多見砂丘とよばれ、アカマツが多く植林されている。天正六年(一五七八)三月七日の木戸元斎願文(奈良原文書)に「志田見郷」とみえ、羽生(はにゆう)城主木戸忠朝の次男木戸元斎が、羽生城回復のうえは上野国三夜沢(みよさわ)大明神(現群馬県宮城村赤城神社)に河俣(かわまた)(現羽生市)、志田見、常木(つねぎ)(現羽生市)の三郷から三貫文と神馬三疋を寄進すると祈願している。現鷲宮(わしみや)町鷲宮(わしのみや)神社の文禄四年(一五九五)八月付棟札に「志多見荒河(中略)此郷何三分一」とあり、同社領があった。羽生領に所属(風土記稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by