日本歴史地名大系 「志津野庄」の解説 志津野庄しつののしよう 岐阜県:関市志津野村志津野庄平安後期より武儀(むぎ)郡に所在した摂関家領。庄域は現関市志津野および加茂郡富加(とみか)町大山(おおやま)・川小牧(かわこまき)付近に比定される。長寛元年(一一六三)頃と推定される美濃国諸庄未進注文(兵範記裏文書)に「月志津乃廿四疋」とみえ、当庄のことと思われる。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)によれば長谷前大僧正円忠の所領で、蜂屋(はちや)庄とともに嘉禄三年(一二二七)山城普賢(ふげん)寺に阿弥陀護摩三壇の内の一壇の用途として宛行われたが、文暦元年(一二三四)普賢寺殿(近衛基通)の遺言によって法印静基(基通の孫、実相院の開基)に譲られ、京都実相(じつそう)院領となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by