志茂田村(読み)すむだむら

日本歴史地名大系 「志茂田村」の解説

志茂田村
すむだむら

[現在地名]豊見城与根よね田頭たがみ瀬長せなが

豊見城とうみぐすく間切の西部に位置し、東は名嘉地なかち村。絵図郷村帳に同間切下田すむだ村とみえるが、琉球国高究帳には記載がない。「琉球国由来記」には同志茂田村とある。間切集成図には村名がみえない。当村を領地とする地頭職として康熙年間(一六六二―一七二二)の初め頃、融氏志茂田親雲上茂喜がいる(「家譜資料」那覇市史など)。のち地頭職は田頭を名乗る(任姓屋我家家譜など)。前掲由来記によると志茂田ノロの崇所として志茂田ノ嶽・アカサキ嶽があり、年中祭祀として志茂田巫火神・サウズ川・イレ川で稲二祭三日崇、志茂田ノ殿・根屋ノ殿で稲二祭が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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