沖縄県沖縄本島南西部にある市。那覇市に隣接する。1908年(明治41)、豊見城村として成立。1980年(昭和55)の国勢調査で人口3万を超え、全国でも有数の人口をもつ村としてしられた。2000年(平成12)人口が5万を超え、2002年市制施行した。海岸低地および饒波(のは)川に沿うほかは、おおむね丘陵地。国道331号が縦貫する。第二次世界大戦前からサトウキビ、野菜を中心とした農業が盛ん。大正時代、沖縄から初めて本土に当地の野菜類が出荷された。復帰前まで与根は製塩業地。那覇市の都市化により住宅地化が著しい。ハウス栽培を中心とした近郊農業地域で、野菜の供給地であり、酪農も盛ん。14~15世紀に南山(なんざん)王の従弟(いとこ)汪応祖(おうおうそ)が築城した豊見城城跡、瀬長城のあった瀬長島、旧海軍司令部壕(ごう)がある。なお、那覇市との境界部に位置する漫湖(まんこ)が、1999年(平成11)日本で11番目にラムサール条約登録湿地になった。漫湖は、1977年(昭和52)周辺地域を含めた250ヘクタールが国設鳥獣保護区に指定され、さらに1997年(平成9)その中の重要部分58ヘクタールが特別保護地区に指定されており、約200種の鳥類が生息している。干潮時にはマングローブが茂る大規模な干潟となる。面積19.31平方キロメートル、人口6万4612(2020)。
[堂前亮平]
『『豊見城村史』全3巻(1964~2001・豊見城村)』▽『『豊見城市史』全3巻(2008~ ・豊見城市)』
沖縄県,沖縄島(本島)南西部の市。2002年市制。人口5万7261(2010)。起伏のなだらかな丘陵を饒波(のは)川が流れ,国道331号線が通じる。泥灰岩質の肥沃な土壌のため,サトウキビと野菜を産する純農村として発達,大正時代には沖縄から初めて本土にカボチャなどの野菜を出荷した。現在も県内有数の野菜生産地である。また,乳用牛・豚の畜産も盛ん。北隣の那覇市のベッドタウン化も進み,全国でも人口の多い村である。海岸部の与根にはかつて塩田があり,本土復帰以前は製塩が行われた。北東部の台地上に那覇市街を一望する豊見城城跡があり,その近くには沖縄戦の激しさを物語る旧海軍司令部の壕の跡がある。
執筆者:堂前 亮平
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