日本歴史地名大系 「志藤永吉村」の解説 志藤永吉村しとうながよしむら 千葉県:市原市志藤永吉村[現在地名]市原市永吉(ながよし)下野(しもの)村の東に位置する。志藤は中世の市東(しとう)郡の転訛と考えられる。「本土寺過去帳」に天正八年(一五八〇)の記事として東永吉大乗(だいじよう)院とあるほか、寛永四年(一六二七)市東永吉村永久(えいきゆう)寺とみえる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳では永吉村として高三一三石。村高は幕末までほぼ同様。元和三年(一六一七)の知行宛行状に志東庄内長吉村とあり、当村など五ヵ所二〇〇石が旗本加藤領。寛永二年の知行宛行状では長吉村九石余が旗本戸田領。元禄郷帳では志藤永吉村。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by