怒和村(読み)ぬわむら

日本歴史地名大系 「怒和村」の解説

怒和村
ぬわむら

[現在地名]中島町上怒和かみぬわ元怒和もとぬわ

忽那くつな七島第二の島怒和島にある。全島一村なか島・二神ふたがみ島・津和地つわじ島に囲まれ、島の東部を上怒和、西部を元怒和とよぶ。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)風早郡の項に「怒和村 日損所、芝山有」とみえ、村高二五八石四斗七升、うち田一九一石二斗九升四合、畑六七石一斗七升六合とある。天保郷帳では「奴和」と記す。

怒和島の開拓については「忽那嶋開発記」に「藤原親朝、忽那長者、号三郎大輔(中略)寛治年中六嶋開発」とあるので、一一世紀後半のことと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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