恭愍王陵(読み)きょうびんおうりょう(その他表記)Kong-min-wang-nūng

改訂新版 世界大百科事典 「恭愍王陵」の意味・わかりやすい解説

恭愍王陵 (きょうびんおうりょう)
Kong-min-wang-nūng

朝鮮民主主義人民共和国開城地区開城市にある高麗王室の代表的な陵墓。1916年に調査された。鳳鳴山より南に延びる丘陵中腹にあって南面する。丘陵が陵の左右に突出するので,3方が小丘陵に包まれたような景観を示す。恭愍王の正陵と,約65cm離れて西側に,高麗末期(14世紀後半)に恭愍王が亡妃のために造営した玄陵が並ぶ。陵の内部は横穴式石室と思われる。王,王妃の陵は同じ墓域にあって,長方形の3段につくるが,外部装飾が顕著である。玄陵を例にとると,最高所の第1段には,直径約14m,高さ約6.6mの円形墳丘があり,その裾には,花コウ岩を用いた護石を十二角形にめぐらす。護石に並行して,その周囲に石欄干がある。その四囲には,石虎と石羊が2基ずつあり,前方には中央に石床,南西には望柱石がある。第2段には,石階段とその前方に石灯籠がある。第1段と第2段の西側に片寄って,文官の石人がそれぞれ2体ずつ,正陵のそれらと対称的な位置に立っている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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