改訂新版 世界大百科事典 「恭愍王」の意味・わかりやすい解説
恭愍王 (きょうびんおう)
Kong-min-wang
生没年:1330-74
朝鮮,高麗第31代の王。在位1352-74年。姓名は王顓(おうせん)。初名は祺。蒙古名はバヤンティムール(伯顔帖木児)。忠粛王の子。彼の即位前後,国内では,元の順帝の皇后奇氏一族ほかの親元勢力が権勢を振るい,中国では元朝への反乱が頻発していた。即位前,長く元廷に入侍し,元の衰勢を見聞していた王は,1356年親元勢力の誅除,東北領域の元からの奪還,元の年号使用の停止ほかの反元政策を展開し,元との関係を実質的に絶った。内政面では,65年以後辛旽(しんとん)を重用して,権勢家の大土地私有の革正を主眼とする弊政改革に当たらせた。しかし,その後も,倭寇の激化,紅巾の乱,元廷内での反高麗策動の波及等による政局の流動化から,元と完全には手を切れず,元の北走後も,彼ら(北元)との関係は完全に途絶されなかった。内政面でも,辛旽の急激なやり方は反感を買って失敗し,王自身も暗殺されて,改革は挫折した。
執筆者:北村 秀人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報