悟正院村(読み)ごしよういんむら

日本歴史地名大系 「悟正院村」の解説

悟正院村
ごしよういんむら

[現在地名]中山町栄田さかえだ

潮音寺ちようおんじ村の東、内蔵うちのくら村の南に位置する。村名は、文久二年(一八六二)の八橋郡村々諸事書上帳(峰地家文書)にみえる退休たいきゆう寺派によって建立された禅宗寺院後正院(現廃寺)に由来するといわれ、古くは後正院と記し(正保国絵図)、悟生院などとも記された(伯耆民諺記)八橋やばせ郡に属し、拝領高二〇一石余、本免三ツ七歩。鱸氏の給地(給人所付帳)。天保三年(一八三二)山林反別四反余(藩史)幕末の六郡郷村生高竈付では生高三一四石余、竈数二〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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