20世紀日本人名事典 「慶田政太郎」の解説 慶田 政太郎ケイダ マサタロウ 明治・大正期の陶業家 生年嘉永5年(1852年) 没年大正13(1924)年 出身地鹿児島県 経歴明治25年瀬島熊助窯が経営者交代の末におじの慶田茂平の手に移り、田之浦陶器所(慶田窯)となり、27年この窯の経営を継ぎ、窯主となる。鹿児島市清水町田之浦は慶応元年から藩窯が立ち、廃藩後は会社に移り、ついで共有となり、個人経営となって、ついに廃窯に帰した窯が多く、製品の品質も低下していた。錦手製を改良し当時の薩摩焼の改善に努めた。没後はその子・泰輔が跡を継いだ。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慶田政太郎」の解説 慶田政太郎 けいだ-まさたろう 1852-1924 明治-大正時代の陶業家。嘉永(かえい)5年生まれ。鹿児島県の人。明治27年おじの慶田茂平から田之浦陶器所(慶田窯)の経営をつぐ。品質が低下していた当時の薩摩焼の改善につとめた。大正13年死去。73歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例