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薩摩焼 さつまやき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

薩摩焼
さつまやき

鹿児島県で産する陶磁器の総称。藩窯と民窯を含むが薩摩錦手のみをさすこともある。薩摩焼の古窯址は五十数ヵ所に及んでいるが,大別して朝鮮の技術を導入した龍門司窯系,竪野窯系,苗代川系,および肥前に学んだ西餅田窯系,平佐窯系の 5系統に分類される。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

薩摩焼

16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた陶工を祖とする。薩摩藩が参加した1867年のパリ万博で「SATSUMA」の名は一躍世界に知られ、日本の陶磁器輸出の牽引(けんいん)役になった。白薩摩は高貴な品格を漂わせる焼きもので、薩摩藩主らに愛用された。

(2012-04-18 朝日新聞 夕刊 1社会)

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デジタル大辞泉の解説

さつま‐やき【×薩摩焼】

鹿児島県薩摩大隅地方に産する陶磁器の総称。文禄の役後、島津義弘が朝鮮から伴ってきた陶工によって始められた。俗に白薩摩黒薩摩とよばれる白釉(はくゆう)地のものと黒釉地のものとがあり、作風も多様であったが、江戸末期以降は色絵が主力。

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百科事典マイペディアの解説

薩摩焼【さつまやき】

鹿児島県産の陶磁器の総称。文禄・慶長の役後,朝鮮の渡来人によって始められ,串木野,帖佐,加治木,苗代川,竪野,竜門司,元立院,磯,平佐などの諸窯が生まれた。白釉(はくゆう),黒釉,鼈甲(べっこう)釉,蛇蝎(だかつ)釉および錦手(にしきで)などが名高い。
→関連項目姶良[市]加治木[町]東市来[町]

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世界大百科事典 第2版の解説

さつまやき【薩摩焼】

鹿児島県の各地で焼かれた陶磁器の総称。桃山時代文禄・慶長の役の際,領主島津義弘は朝鮮より多くの陶工を連れ帰った。その一人金海(星山仲次)が,姶良(あいら)郡の帖佐宇都に窯をきずいたのが始まりと伝える。これが宇都(うと)窯である。この窯は他に例をみない単室の蛇窯で規模も小さく,金海はこの窯で義弘の好む茶具をつくり,茶入製作を学ぶため瀬戸窯にも赴いたという。その後,藩窯系の窯では加治木町に御里(おさと)窯がきずかれた。

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大辞林 第三版の解説

さつまやき【薩摩焼】

薩摩で産する陶磁器の総称。文禄の役の際、島津義弘が朝鮮から伴った陶工に焼かせたのに始まる。初期は、白釉はくゆう・黒釉を施した朝鮮風のものや、宋胡録写すんころくうつしを特色としたが、のち錦手にしきでや金襴手が盛んとなり、現在では一般にこれを薩摩焼と呼んでいる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

薩摩焼
さつまやき

鹿児島県(旧島津藩の薩摩・大隅地方)の近世陶芸の総称。この地は中世においてまったく製陶活動が行われなかったが、陶器窯(よう)を開く契機を与えたのは領主島津義弘(よしひろ)で、豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮出兵後、朝鮮半島の陶工を招致して開始された。当地に残る後世の文献では、陶工の渡来は1595年(文禄4)説と、1598年(慶長3)説とに分かれている。陶工は串木野(くしきの)、市来(いちき)、鹿児島などに上陸し、のちに竪野(たての)系、苗代川(なえしろがわ)系、西餅田(にしもちだ)系、竜門司(りゅうもんじ)系と大きく4地域の窯(かま)の系譜を形成していった。
 竪野系は現在の鹿児島市の北東方に窯址(ようし)が点在するが、島津義弘が陶工金海(星山仲次(ちゅうじ))に命じて姶良(あいら)郡帖佐(ちょうさ)村宇都(うと)(現、姶良市)に開いた宇都窯(うとよう)に始まり、古帖佐とよばれる茶器を多く焼造した。また竪野初期の作は古帖佐とともに古薩摩といわれ、竪野窯は薩摩焼の主流をなした。苗代川系は日置(ひおき)市東市来(ひがしいちき)町美山近くに古窯址が散在しており、帰化陶工朴平意(ぼくへいい)を中心として1605年(慶長10)ごろ串木野窯、元屋敷窯を築窯。竜門司系は陶工卞芳仲(べんほうちゅう)を陶祖とし、元禄(げんろく)年間(1688~1704)に現在の姶良市東部に竜門司窯を開いたといわれる。竜門司窯、苗代川窯は黒物(くろもん)の日用品を多く手がけ、今日も伝統的な民芸陶器で活動している。西餅田系諸窯は姶良市南部に展開し、一名元立院(げんりゅういん)焼の名で知られ、陶祖の小野元立が1663年(寛文3)に築窯したと伝えられる。
 薩摩焼は、俗に白薩摩とよばれる失透白釉(ゆう)と、黒薩摩とよばれる鉄呈色の黒褐釉を用いて、茶具(水指、茶碗(ちゃわん)、茶入れなど)と日常飲食器を焼いていたが、江戸末期、竪野窯が京都から色絵技法を導入して薩摩金襴手(きんらんで)を始めてから、主力の作風は一変し、色絵が人気を博し、1776年(安永5)に開かれたという平佐(ひらさ)窯(現、薩摩川内(せんだい)市)では、伊万里(いまり)焼の陶技を受けて磁器が焼造されている。[矢部良明]
『岡田喜一著『陶磁大系16 薩摩』(1972・平凡社) ▽岡田喜一編著『日本のやきもの16 薩摩』(1976・講談社)』

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