日本歴史地名大系 「戸ノ内村」の解説 戸ノ内村とのうちむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区戸ノ内村[現在地名]尼崎市戸ノ内町一―六丁目・東園田町(ひがしそのだちよう)六―八丁目・弥生(やよい)ヶ丘町(おかちよう)善法寺(ぜんぽうじ)村の東に位置する。村域の南西部を藻(も)川が貫流し、南部を流下する猪名(いな)川と合流して村領を分け、南端は猪名川と神崎(かんざき)川の合流点。東側は北から豊島(てしま)郡上津島(こうづしま)村・今在家(いまざいけ)村・庄本(しようもと)村(現大阪府豊中市)、南側は西成(にしなり)郡加島(かしま)村(現大阪市淀川区)。字名に四(よん)ノ坪(つぼ)・八(はち)ノ坪(つぼ)・九(く)ノ坪(つぼ)・十六(じゆうろく)・殿(と)ノ内(うち)などがあった。慶長国絵図にみえる西倉橋(にしくらはし)にあたり、高七六六石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳に戸之内村とみえ、幕府領(建部与十郎預地)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報