戸馳村(読み)とばせむら

日本歴史地名大系 「戸馳村」の解説

戸馳村
とばせむら

[現在地名]三角町戸馳

戸馳島にあり、北はモタレノ瀬戸を隔てて波多はた村、南西蔵々ぞうぞう瀬戸を隔てて維和いわ(現天草郡大矢野町)である。村の中央に迫出さこで、東に下出しもで、西に新開しんがい、南に瀬の沖せのおき北西坊主田ぼうずだなどの字地がみえる(郡村誌)。応永一一年(一四〇四)一〇月一〇日の肥後郡浦庄地検帳(阿蘇家文書)に「戸馳」とみえ、郡浦こおのうら庄に属した。近世は郡浦手永に属し、「国誌」に「当村ハ地続ニアラス離島ナリ、田井ノ浦村内潟村古里村等小村アリ」とある。正保郷帳では二〇九石六斗余で「日損所」とあり、畠方は一九九石七斗余である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む