日本歴史地名大系 「宇土郡」の解説
宇土郡
うとぐん
県の中央部にあり、南西の天草諸島へ向けて突出した半島南部である。この半島が北の有明海と南の八代海(不知火海)を分けている。半島北部は宇土市に属し、南域に東から不知火町・三角町が並ぶ。東の
天平勝宝二年(七五〇)四月五日の智識優婆塞貢進文(正倉院文書)に「肥後国宇土郡大宅郷戸主額田部君得万呂」とある。現在の宇土郡は県内最小の郡であり、半島北部を占める宇土市と一体として、初めて半島全体の歴史がとらえられるので、ここでは市成立以前の旧宇土郡について記述する。
〔原始〕
遺跡の分布は、半島部と東の山陵台地部および両者の接合地帯である宇土市を中心とする平地部で異なっている。半島部は大岳を中心とする山塊が海岸線まで延び、内陸部の交通を困難ならしめている反面、とくに南の八代海側にあっては海岸線が鋸歯状を呈し、小規模ながら天然の良港を形造っている。北の有明海側では干満の差が著しいため遠浅の砂地が形成され、港の立地としては必ずしもよくないが、緑川河口を拠点とする水上交通が発達した。半島部にはほとんど平野がみられないが、北側の宇土市
旧石器時代の遺物は網田および松橋町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報