宇土郡(読み)うとぐん

日本歴史地名大系 「宇土郡」の解説

宇土郡
うとぐん

面積:七七・七五平方キロ
不知火しらぬひ町・三角みすみ

県の中央部にあり、南西の天草諸島へ向けて突出した半島南部である。この半島が北の有明海と南の八代海(不知火海)を分けている。半島北部は宇土市に属し、南域に東から不知火町・三角町が並ぶ。東の下益城しもましき松橋まつばせ町から西の天草郡大矢野おおやの町まで海岸線に沿って県道二一号が通る。半島北部の宇土市域で国道三号から分岐した国道五七号が同じく海岸線に沿って走り、半島先端部で南岸を通る県道二一号と合流し、天草五橋の一つである天門てんもん橋を渡り、大矢野町へ入って国道二六六号となる。半島の北寄りに、標高四七八メートルのおお岳を主峰とする山山が連なるため、南北の交通は不便である。

天平勝宝二年(七五〇)四月五日の智識優婆塞貢進文(正倉院文書)に「肥後国宇土郡大宅郷戸主額田部君得万呂」とある。現在の宇土郡は県内最小の郡であり、半島北部を占める宇土市と一体として、初めて半島全体の歴史がとらえられるので、ここでは市成立以前の旧宇土郡について記述する。

〔原始〕

遺跡の分布は、半島部と東の山陵台地部および両者の接合地帯である宇土市を中心とする平地部で異なっている。半島部は大岳を中心とする山塊が海岸線まで延び、内陸部の交通を困難ならしめている反面、とくに南の八代海側にあっては海岸線が鋸歯状を呈し、小規模ながら天然の良港を形造っている。北の有明海側では干満の差が著しいため遠浅の砂地が形成され、港の立地としては必ずしもよくないが、緑川河口を拠点とする水上交通が発達した。半島部にはほとんど平野がみられないが、北側の宇土市網田おうだと南の三角町郡浦こおのうらはそれぞれの地区の最大の平地部である。三角町の大半は古代にあっては天草郡に属したが、正面に大矢野島戸馳とばせ島・千束蔵々せんぞくぞうぞう(維和島)など天草松島とよばれる小島嶼をもち有明海と八代海の接点の港として重要である。東部は雁回がんかい(三一四・四メートル)の山麓台地部で、標高三〇―五〇メートルの低丘陵が続き、丘陵の間は開析が進み小規模な平地が形成される。半島と丘陵の間は最小幅約一キロの狭隘部で、北の熊本平野と南の八代方面を結ぶ接点となる。このような多様な姿をもつ宇土郡に共通していえる地理的な特色は、陸海の交通の要所という点である。地域の性格は遺跡の分布とその性格にも貫通している。

旧石器時代の遺物は網田および松橋町曲野まがの遺跡で発見されている。前者は二次堆積の状態であったが、後者は良好な状態で包含層が残存し、ナイフ形石器・スクレーパー、打点を転移された石核などが発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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