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房山 ボウサン

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

房山
ぼうざん / ファンシャン

中国、北京(ペキン)市南西部の市轄区。人口103万6000(2014)。西山山地南部に位置し、京原線(北京―原平(げんへい))、京広線、京九鉄道などが区内を通る。北京市の中心部とは地下鉄で連絡している。もと奉先(ほうせん)県といったが元代に房山県となり、1958年に北京市の管轄下に入り、1986年、隣接の燕山(えんざん)区と合併して房山区となった。
 1929年、区内の周口店(しゅうこうてん)竜骨山で北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)の頭蓋骨(ずがいこつ)が発見された。同遺跡は1987年に「周口店の北京原人遺跡」として世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。[船越昭生・編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の房山の言及

【石経】より

…仏教のは末法の世の到来に備え仏典を永遠に伝えるため,石に刻して深山の石窟中に保存した。最大規模のものは河北省の房山にあり,7世紀の初め静琬という僧が発願し12世紀まで数百年にわたってその事業が続けられ,《大蔵経》が石窟の壁面や碑石に刻されている。近年の調査によれば,その数は1万4620を超える。…

【末法思想】より

… 北周の武帝による残酷な廃仏によって法滅の惨禍を目前にみた仏教徒は,末法の到来を現実感をもって意識し,仏典を石に刻し,教法を永遠に伝えようとする護法の刻経事業をもおこした。北斉仏教界の指導者であった霊裕(518‐605)は,589年(隋の開皇9)から河南省の宝山に石窟を造営して《大集月蔵経》などの石経を刻し,静琬(じようおん)(?‐639)は隋の大業年間(605‐617)に発願して,煬帝(ようだい)の皇后蕭氏と弟の蕭瑀(しようう)らの援助をうけつつ,北京南西郊の房山(ぼうざん)に《大蔵経》全部を碑石に刻さんとした。特に房山の刻経事業は,唐,遼,金代をへて明末にまで継承され,石室の壁面はいうに及ばず,碑石に刻された経版は地下の洞穴内などに秘蔵されてきたのである。…

※「房山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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