雲居寺(読み)ウンゴジ(英語表記)Yun-ju-si

デジタル大辞泉 「雲居寺」の意味・読み・例文・類語

うんご‐じ【雲居寺】

京都市東山区高台寺付近にあった寺。承和4年(837)菅野真道桓武天皇菩提をとむらうために道場建立したのが始まり。金色八丈の阿弥陀像があったが、応仁の乱焼失。八坂東院。
中国河北省房山県にある寺。石刻大蔵経が保存されていることで有名。西域寺。

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精選版 日本国語大辞典 「雲居寺」の意味・読み・例文・類語

うんご‐じ【雲居寺】

[一] 京都市東山区下河原町にあった寺。高台寺の門前旧跡がある。承和四年(八三七)、参議菅野真道が桓武天皇の菩提のため建立。本尊阿彌陀仏東大寺大仏と並び称されたが応仁の乱で焼失。初め八坂東院といわれた。
[二] 中国河北省房山県の西南にある臨済宗の寺。西域寺。

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日本歴史地名大系 「雲居寺」の解説

雲居寺
うんごじ

[現在地名]津島市北町

延享五年(一七四八)の村絵図によると、村の東北端米之座こめのざ北口きたぐちにあって巡見街道に沿っている。竜宝山と号し曹洞宗。本尊は薬師如来坐像。

永享七年(一四三五)一二月二九日、征夷大将軍兵部卿尹良親王の子良王君が一五人の従臣を供として津島の奴野ぬのやの城に入御(浪合記)。同一二年に従臣の一人服部伊賀守宗純が創建したと寺伝にある。開山は宝山玄珠。初め仏前山と号していたが、延宝五年(一六七七)に渡来した東皐心越筆の額字竜山が機縁となって竜吟山と改め、のちに竜宝山と改めた(雑志)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雲居寺」の意味・わかりやすい解説

雲居寺
うんごじ
Yun-ju-si

中国,北京市房山県の仏寺。近くのたく県にある遼代の八角六層 塼塔 (せんとう) をもつ同名寺院と混同されることもあるが別の寺院。唐代の石塔,遼代の遺物を多く残し,ことに隋代に静えん法師が発願し,のち5世紀余をかけて大蔵経を刻んで法滅にそなえた石経を所蔵していることで著名。石経を収蔵する石窟の上に遼代の二大 塼塔が南北に建っている。

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世界大百科事典(旧版)内の雲居寺の言及

【別院】より

…9世紀より天台・真言2宗の興隆流布とともに別院が派生した。例えば京都雲居(うんご)寺は地勢上あたかも八坂寺(法観寺)の別院のごとくで,民衆は八坂東院と呼んでいたことが《続日本後紀》《三代実録》にみえる。加賀国高雄山寺や伊勢国多度神宮寺(法雲寺)は真言宗別院となり,播磨国大道寺や清妙寺,陸奥国弘道寺,近江国延祥寺などが天台宗別院となり,滋野貞主(しげののさだぬし)創建の滋恩院が西寺の別院,奈良禅院寺が元興(がんごう)寺別院,伊豆大興寺が海印寺別院,新薬師寺は東大寺別院,多武峰(とうのみね)妙楽寺は無動寺別院となった。…

【房山雲居寺】より

…中国の河北省房山県の南西約25km,白帯山(石経山)の西谷にある寺院。雲居寺はまた西峪寺,西域寺と別称される。太行山脈東麓にあり,隋・唐から遼・金・元までの遺跡遺物が一帯に多く,歴史地理上要衝にあるが,名のおこりとなった石刻の《一切経》を蔵することで名高い。…

※「雲居寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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