扇ヶ谷村(読み)おうぎがやつむら

日本歴史地名大系 「扇ヶ谷村」の解説

扇ヶ谷村
おうぎがやつむら

[現在地名]鎌倉市扇ガ谷一―四丁目・御成おなり町・佐助さすけ一―二丁目

仮粧けわい坂や亀谷かめがやつ坂を越えて鎌倉のうちに入ってきた付近一帯に位置し、北は山之内やまのうち村、東は雪下ゆきのした村、南は小町こまち村・大町おおまち村、西は長谷はせ村・常盤ときわ村・梶原かじわら村と接する。「吾妻鏡」には扇ヶ谷の地名はみえず、付近はもっぱら亀ヶ谷とよばれている。本来の扇ヶ谷は、ふじヶ谷の前、英勝えいしよう寺の裏門付近をさした小地名らしいが(鎌倉志)、室町時代に関東管領上杉氏の一族が付近に館を構え、扇谷殿と称された頃から有名となった。

鎌倉時代末、正中三年―元徳元年(一三二六―二九)と思われる一一月一一日の崇顕(金沢貞顕)書状(県史二)に「去夜亥刻計ニ、扇谷の右馬権助家時門前より火いてき候て、亀谷の少路へやけ出候て、土左入道宿所やけ候て、浄光明寺西頬まてやけて候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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