鶴岡八幡宮(読み)つるがおかはちまんぐう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう

神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座する元国幣中社。鎌倉八幡宮ともいう。祭神は,応神天皇,ヒメガミ,神功皇后。康平6 (1063) 年,源頼義の創建。源氏の氏神,武家の守護神として崇敬された。例祭9月 15日。国宝指定の工芸品 (鎌倉時代) 多数を所蔵する。境内は史跡。

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デジタル大辞泉の解説

つるがおか‐はちまんぐう〔つるがをか‐〕【鶴岡八幡宮】

神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社。祭神は応神天皇比売神(ひめがみ)神功(じんぐう)皇后。康平6年(1063)源頼義が、石清水(いわしみず)八幡宮分霊を鎌倉の由比郷鶴岡勧請(かんじょう)したことに始まる。のち、源頼朝現在地へ移し、源氏の守護神として鎌倉幕府尊崇を受けた。9月16日に行われる流鏑馬(やぶさめ)は有名。

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百科事典マイペディアの解説

鶴岡八幡宮【つるがおかはちまんぐう】

鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。応神天皇・比売(ひめ)神・神功皇后をまつる。1063年源頼義石清水八幡宮から分祀し,1180年頼朝が今の地に移した。武家の守護神として広く尊崇された。例祭のほかに除魔神事,神幸祭,流鏑馬(やぶさめ)神事等がある。国宝に籬菊螺鈿(らでん)蒔絵硯箱,正恒銘太刀,朱漆弓など,重要文化財に弁才天座像,舞楽面,鶴岡社務記録などがある。
→関連項目神奈川神奈川県立近代美術館鎌倉[市]公暁佐々目郷地【び】荘八幡宮八幡信仰北条氏綱和賀江島

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デジタル大辞泉プラスの解説

鶴岡八幡宮

神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社。祭神は応神天皇、比売神(ひめがみ)、神功皇后。1063年、源頼義が鎌倉由井郷に石清水八幡宮を勧請したのが起源。源頼朝により現在地に移転。銘正恒の太刀、神功皇后の御神服(いずれも国宝)など、多くの文化財を所蔵。境内は国指定史跡。敷地内に県立近代博物館がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

つるがおかはちまんぐう【鶴岡八幡宮】

鎌倉市に鎮座。祭神は応神天皇,比売(ひめ)神,神功皇后。旧国幣中社。1063年(康平6)源頼義が安倍貞任を追討する際戦勝祈願をした石清水(いわしみず)八幡宮を由比郷に勧請したのが始まりで,その子義家は81年(永保1)修復を加えるとともに小林郷に移した。その後1180年(治承4)平氏打倒の旗印をかかげて伊豆に蜂起した頼朝は同宮を小林郷北山の地に遷した。都市鎌倉建設の際に,頼朝は同宮を内裏に,同宮から南に走る中心道の若宮大路朱雀大路にそれぞれ見たてて整備した。

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大辞林 第三版の解説

つるがおかはちまんぐう【鶴岡八幡宮】

鎌倉市雪下にある神社。祭神は応神天皇・神功皇后。1063年源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請し、1180年源頼朝が今の場所に移建。源氏の守護神として鎌倉幕府の尊崇あつく、以後室町幕府・江戸幕府ともに保護を加える。鎌倉八幡宮。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう

神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。祭神は応神(おうじん)天皇、比売(ひめ)神、神功(じんぐう)皇后の3座を祀(まつ)る。1063年(康平6)源頼義(よりよし)は鎌倉由比(ゆい)郷に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を勧請(かんじょう)(現在の末社由比若宮)し、1180年(治承4)源頼朝(よりとも)は東国に挙兵し鎌倉に入ると、社を小林郷北山の現社地に遷(うつ)し、都市鎌倉の中心に据えた。以後八幡宮は、源氏の氏神、幕府の守護社として鎌倉御家人(ごけにん)らの精神的支柱とされ、幕府の公的行事の場となった。鎌倉幕府の発展に伴って機構が整備され、別当、25坊の供僧(ぐそう)などが置かれた。「鶴岡八幡宮寺」とも称されているように、神仏習合の典型である宮寺形式の神社であり、神主に大伴(おおとも)氏が補せられていたものの、社内の権限は僧侶(そうりょ)が握っていた。
 1191年(建久2)社殿を焼失したため、裏山の中腹を切り開いて本社(上宮)を造営、山下の若宮(下宮)、摂末社も整い、面目を一新した。若宮回廊における静御前(しずかごぜん)の舞、社頭にて別当公暁(くぎょう)に3代将軍源実朝(さねとも)が殺された事件は有名。歴代将軍家の崇敬厚く、鎌倉幕府滅亡後も、室町幕府の鎌倉府の足利公方(あしかがくぼう)、戦国期の後北条(ごほうじょう)氏と、その信仰に怠りなく、北条氏綱(うじつな)、豊臣(とよとみ)秀吉らによって社殿の造営や修理が行われるなど、武士の尊崇を集めた。近年、そのときの遺構が発掘されている。明治の神仏分離によって打撃を受け、一時疲弊したが、第二次世界大戦後とくに昭和40年代の初詣(はつもう)で人口の増大にのって、8年間初詣で日本一を記録した。社宝には籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがきにきくらでんまきえすずりばこ)、正恒(まさつね)銘の太刀(たち)(いずれも国宝)などがある。県文化財の桃山期神輿(みこし)3基の渡御する例大祭は9月15日、流鏑馬(やぶさめ)神事は9月16日。[岡田荘司]

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事典・日本の観光資源の解説

鶴岡八幡宮

(神奈川県鎌倉市)
かながわの建築物100選」指定の観光名所。

鶴岡八幡宮

(神奈川県鎌倉市)
かながわの花の名所100選」指定の観光名所。

鶴岡八幡宮

(神奈川県鎌倉市)
かながわ未来遺産100」指定の観光名所。

鶴岡八幡宮

(神奈川県鎌倉市)
日本三大八幡」指定の観光名所。

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世界大百科事典内の鶴岡八幡宮の言及

【鎌倉[市]】より

…しかし三方を山で囲まれ,相模湾に面した自然環境や,鎌倉七口といわれる鎌倉に入る切通し,道路網などに昔をしのぶことができる。鎌倉の市街地の中心をなすのは鶴岡八幡宮で,八幡宮前から由比ヶ浜海岸に向かって一直線に若宮大路が通じる。八幡宮境内には1928年開館の市立国宝館と51年日本最初の近代美術館として開館した県立近代美術館などがある。…

【段葛】より

…鎌倉の鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に通ずる若宮大路の中央の一段高い道路部分をいう。現在は赤橋(三ノ鳥居前)から小町口(二ノ鳥居)までの間に残っているが,元は米町口(下馬四つ角)あるいは浜の大鳥居(一ノ鳥居)まで続いていたともいう。…

【源頼義】より

…この戦いを通じて東国における源氏の地位が確立された。同年8月相模由井郷に石清水(いわしみず)八幡宮を勧請(かんじよう)(鶴岡八幡宮の起源)。【飯田 悠紀子】。…

※「鶴岡八幡宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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