日本歴史地名大系 「手光村」の解説 手光村てびかむら 福岡県:宗像郡福間町手光村[現在地名]福間町手光・光陽台(こうようだい)一―六丁目・光陽台南(こうようだいみなみ)・中央(ちゆうおう)一丁目・同四丁目・手光南(てびかみなみ)一―二丁目・東福間(ひがしふくま)二丁目・同四丁目・同七―八丁目今(いま)川の上流域に位置し、東は津丸(つまる)村、西は宮司(みやじ)村(現津屋崎町)。三方を小高い山に囲まれ南側に平地が広がる。北東部に枝村の冠(かむり)村がある(続風土記)。文永一一年(一二七四)一一月二〇日、文永の役における赤坂(あかさか)(現福岡市中央区)の戦いで少弐景資の手者に手光太郎右衛門尉がみえる(八幡愚童訓)。翌年二月三〇日、六波羅探題北条義宗が筑前国守護武藤(少弐)覚恵(資能)に、西郷(さいごう)住人手光小太郎兵衛入道礼念の宗像社神人等に対する打擲・刃傷を停止させ、清祓を命じている(「六波羅御教書写」宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文一五)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by