日本歴史地名大系 「手岡村」の解説 手岡村ちようかむら 栃木県:今市市手岡村[現在地名]今市市手岡西へ流れる武子(たけし)川沿いに開け、南は古賀志(こがし)山塊。都賀(つが)郡に属し、北から西は板橋(いたばし)村のうち下板橋、東は河内(かわち)郡猪倉(いのくら)村。日光山常行三昧堂新造大過去帳に桜本(さくらもと)院領として手岡郷がみえる。古くは「弟岡」「茅岡」とも記された。慶長一七年(一六一二)の関東八州真言宗諸寺連判留書案(醍醐寺文書)には「野州日光領茅岡」として当村の自在(じざい)寺が加判している。寛永一二年(一六三五)から阿部重次(のち武蔵岩槻藩)領。慶安郷帳では手岡村とみえ、岩槻藩領、田三二石余・畑三七石。承応二年(一六五三)日光領となったらしい。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報