日本歴史地名大系 「今市市」の解説 今市市いまいちし 面積:二四三・九四平方キロ県中央から西北寄り、日光山塊南東麓に広がる。北は塩谷郡栗山(くりやま)村・藤原(ふじはら)町、東は同郡塩谷町・河内(かわち)郡上河内村、南は宇都宮市と鹿沼市、西は日光市。塩谷町との境界を鬼怒川が東流する。栗山村との境は赤薙(あかなぎ)山・大笹(おおざさ)山など標高一〇〇〇―二〇〇〇メートルの女峰(によほう)連山東端部にあたる。栗山・日光・今市三市村境界赤薙山(二〇一〇メートル)が最高点で、市域は南東に下る一方の広い傾斜面にある。中央部は東へ横断して流れ鬼怒川に入る大谷(だいや)川の形成した今市扇状地、北部は女峰連山の東端から渓谷を流れて鬼怒川に入る板穴(いたな)川と、それに合流する小百(こびやく)川・砥(と)川のつくる狭い河岸段丘と扇状地。南東部は今市扇状地の南側面から湧水して南東へ流れ、鬼怒川へ合流する田(た)川とその支流赤堀(あかほり)川などの形づくる河岸段丘、南西部は行(なめ)川の沖積小平野。気候は夏冬の気温差は大きいものの、七―八月でも平均気温摂氏二一―二二度と冷涼で、夏期には雷雨が多く、局地的豪雨や、降雹をみることもある。市域の六割は山林・原野で、農地は二割、宅地は三分足らずにすぎない。なおかつて市域西半は都賀(つが)郡、東半は河内郡に属していた。〔原始・古代〕大沢の的場(おおさわのまとば)遺跡と猪倉の山本(いのくらのやまもと)遺跡から出土した礫器が旧石器かと推定されるが、含まれていた地層位が明確でない。縄文各期の遺跡は約四五が発見され、市域の原始時代の遺跡の九割にあたる。遺跡は散在的で、中・後期の遺跡が圧倒的に多く、早期から前期の土器を伴う遺跡は大沢の的場遺跡、猪倉の箱(はこ)ノ森(もり)遺跡など中部から南部の田川・赤堀川の段丘に限られる。ほかに行川北岸丘陵面の室瀬(むろぜ)のカノヘラ遺跡および大谷川北岸の轟(とどろく)遺跡など。轟遺跡は中世城館跡として発掘調査されたが、縄文前・中期の土器多数が発見された。出土土器からは会津地方からの影響が推定される一方、中・後期の土器の大部分は関東平野との文化的連絡が優勢である。住居跡の代表的なものは長畑(ながはた)の坂(さか)ノ上(うえ)遺跡で、ほかに小倉の四斗内(こぐらのしとうち)が縄文集落跡として確認されている。また芹沼(せりぬま)のドンデンボウ遺跡は大小二五〇個の配石遺跡で、墓地あるいは祭祀場と考えられる。土偶は長畑の宮(みや)ノ下(した)遺跡(後期)から出土している。弥生遺跡は南部の田川・赤堀川、行川ならびに姿(すがた)川上流の段丘上に六、七ヵ所が知られるにすぎず、土沢の上山(どさわのかみのやま)遺跡などいずれも中期遺跡である。行川左岸の中小代(なかこしろ)A遺跡や古賀志(こがし)山塊北側の岩崎(いわざき)遺跡などから会津地方弥生中期の二ッ釜式や川原町口式などに類似する壺が出土している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by