阿部重次(読み)あべ・しげつぐ

朝日日本歴史人物事典 「阿部重次」の解説

阿部重次

没年:慶安4.4.20(1651.6.8)
生年:慶長3(1598)
江戸前期の近習出頭人,老中,武蔵岩槻藩(岩槻市)藩主。山城守,対馬守。阿部正次次男。母は佐原義成の娘。始め三浦重成の養子となり徳川秀忠に仕え,近習などを歴任。寛永5(1628)年兄の死去で阿部に復す。のち家光に仕え,同9年小性組番頭。翌10年松平信綱従弟の阿部忠秋らと,六人衆に任命され,近習出頭人として家光政権の中核となり幕政参画。同年,家光の弟徳川忠長が幽閉されていた上野高崎にしばしば派遣され,忠長を自殺に追い込む。同15年岩槻城主,所領5万9000石。同年11月老中。慶安1(1648)年7月父の遺領を合わせ9万9000石。同4年家光の死去に伴い殉死。華々しい活躍はなかったが,家光政権を内から支え,最後まで家光に尽くした。<参考文献>『岩槻市史』藩政史料上下,『埼玉県史』通史編3

(根岸茂夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「阿部重次」の意味・わかりやすい解説

阿部重次 (あべしげつぐ)
生没年:1598-1651(慶長3-慶安4)

江戸前期の譜代大名。老中,武蔵岩槻藩主。はじめ三浦重成の養子となるが,兄正澄の死によって1628年(寛永5)嫡男として阿部に復帰。33年,松平信綱,阿部忠秋らとともに六人衆の一員として幕政に参与。38年武蔵岩槻5万9000石を領し老中となる。47年1万石加増され,48年父の遺領3万石を合わせ9万9000石となったが,51年将軍徳川家光の死に殉じた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿部重次」の解説

阿部重次 あべ-しげつぐ

1598-1651 江戸時代前期の大名
慶長3年生まれ。阿部正次(まさつぐ)の次男。三浦重成の養子となるが,実兄正澄の死で実家にもどり,父の跡をつぎ寛永15年武蔵(むさし)岩槻(いわつき)藩(埼玉県)藩主阿部家2代となる。徳川秀忠,家光につかえ,六人衆(のちの若年寄),老中をつとめる。家光が死んだ慶安4年4月20日堀田正盛らとともに殉死した。54歳。
格言など】天てらす月の光ともろともに行くすゑすずしあけぼのの空(辞世)

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