阿部重次(読み)あべ しげつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

阿部重次 あべ-しげつぐ

1598-1651 江戸時代前期の大名。
慶長3年生まれ。阿部正次(まさつぐ)の次男。三浦重成の養子となるが,実兄正澄の死で実家にもどり,父の跡をつぎ寛永15年武蔵(むさし)岩槻(いわつき)藩(埼玉県)藩主阿部家2代となる。徳川秀忠,家光につかえ,六人衆(のちの若年寄),老中をつとめる。家光が死んだ慶安4年4月20日堀田正盛らとともに殉死した。54歳。
【格言など】天てらす月の光ともろともに行くすゑすずしあけぼのの空(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

阿部重次

没年:慶安4.4.20(1651.6.8)
生年:慶長3(1598)
江戸前期の近習出頭人,老中,武蔵岩槻藩(岩槻市)藩主。山城守,対馬守。阿部正次の次男。母は佐原義成の娘。始め三浦重成の養子となり徳川秀忠に仕え,近習などを歴任。寛永5(1628)年兄の死去で阿部に復す。のち家光に仕え,同9年小性組番頭。翌10年松平信綱や従弟の阿部忠秋らと,六人衆に任命され,近習出頭人として家光政権の中核となり幕政に参画。同年,家光の弟徳川忠長が幽閉されていた上野高崎にしばしば派遣され,忠長を自殺に追い込む。同15年岩槻城主,所領5万9000石。同年11月老中。慶安1(1648)年7月父の遺領を合わせ9万9000石。同4年家光の死去に伴い殉死。華々しい活躍はなかったが,家光政権を内から支え,最後まで家光に尽くした。<参考文献>『岩槻市史』藩政史料上下,『埼玉県史』通史編3

(根岸茂夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

あべしげつぐ【阿部重次】

1598‐1651(慶長3‐慶安4)
江戸前期の譜代大名。老中,武蔵岩槻藩主。はじめ三浦重成の養子となるが,兄正澄の死によって1628年(寛永5)嫡男として阿部に復帰。33年,松平信綱,阿部忠秋らとともに六人衆の一員として幕政に参与。38年武蔵岩槻5万9000石を領し老中となる。47年1万石加増され,48年父の遺領3万石を合わせ9万9000石となったが,51年将軍徳川家光の死に殉じた。【藤井 譲治】

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

今日のキーワード

出入国在留管理庁

政府が2019年4月に発足を予定している法務省の外局。18年12月の出入国管理法改正案成立に伴う外国人労働者の受け入れ拡大に対応するため、同省の内部部局である入国管理局を再編・格上げし、新設することが...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android