旺文社日本史事典 三訂版 「手賀沼干拓」の解説
手賀沼干拓
てがぬまかんたく
手賀沼は下総国(千葉県)利根川沿いにある沼で,江戸前期から地元民や江戸町人の手で一部干拓された。1786年老中田沼意次 (おきつぐ) が町人の出資で印旛沼 (いんばぬま) とともに大規模な干拓に着手したが,洪水と意次失脚で中絶した。
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…千葉県北西部の沼。東西の長さ約12km,幅約1km,面積6.5km2と細長く,最深部の水深約2m。東端から弁天川により利根川に排水する。古代には印旛(いんば)沼,霞ヶ浦に続く香取海(かとりのうみ)の入江であったが,利根川の堆積作用によってせき止められ,沼地となった。近世にはたびたび干拓が計画されたが,洪水によって破壊された。1946‐67年に国営干拓事業が行われ,土地改良が進んだ。印旛沼手賀沼県立自然公園に属し,釣りの名所でもあるが,最近,沼周辺の我孫子(あびこ)・柏両市などの人口増加によって生活用水の流入が続き,アオコの異常発生など沼の汚染が著しい。…
※「手賀沼干拓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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