承兌(読み)しょうだ

改訂新版 世界大百科事典 「承兌」の意味・わかりやすい解説

承兌 (しょうだ)
生没年:1548-1607(天文17-慶長12)

近世初期の臨済宗の僧。〈しょうたい〉ともいう。承兌は諱(いみな),字(あざな)は西笑(さいしよう)/(せいしよう)。号は月浦または南陽。詩文を仁如集尭に学び,のち夢窓派の中華承舜の法嗣となる。1584年(天正12)相国寺住持,翌年鹿苑院に移って天下僧録(てんがそうろく)となり,臨済五山派を総管した。そののち,豊臣秀吉に重用され,秀吉が造営した方広寺大仏の供養導師,また秀吉創建の伏見の大光明寺,相国寺山内の豊光寺開山に招請され,やがて豊臣政権下の外交文書のことを管領した。秀吉の朝鮮侵略のとき,対明国書を管したのは承兌だった。徳川家康にも重用され,引き続いて外交顧問の役を果たすとともに,家康が行った出版事業を助けた。その日記《日用集》が残る。
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