山形県南東部にある市。1967年(昭和42)宮内(みやうち)、赤湯(あかゆ)の2町と和郷(わごう)村が合併して市制施行。北部は白鷹(しらたか)丘陵、南部は米沢(よねざわ)盆地の一部で、吉野川の開析扇状地に続く最上(もがみ)川(松川)の沖積地が広がる。JR奥羽本線(山形新幹線)と山形鉄道フラワー長井線、国道13号と113号の分岐点にあたる。また、国道348号、399号が通じ、南端近くには東北中央自動車道の南陽高畠(たかはた)インターチェンジがある。市域には縄文遺跡や稲荷森古墳(いなりもりこふん)(国指定史跡)などの古墳が多い。戦国期の伊達(だて)氏の領有を経て、1598年(慶長3)以降明治まで上杉氏米沢藩領であった。赤湯地区は古くからの温泉場であり、また米沢と山形を結ぶ米沢街道(最上街道)の宿場町でもあった。赤湯温泉は奥羽線の開通(1900)以降に新たな源泉掘削が行われ温泉町としての整備が進んだ。宮内地区は吉野川の谷口集落で、熊野神社の宮の内として栄えた門前町であり、明治初期から第二次世界大戦前までは養蚕地を控えた県下有数の製糸業で知られた。戦後はそれらの施設を利用して電気機器、木工などの工業が行われる。赤湯温泉北東方にある白竜湖(はくりゅうこ)一帯は泥炭湿地帯であったが、現在は水田化している。湖の北方の十分一(じゅうぶいち)山の斜面はブドウ栽培の中心で、国道13号沿いには観光ブドウ園や売店が開かれる。県南県立自然公園の一部で、宮内地区の双松公園はバラ園で知られる。面積160.52平方キロメートル、人口3万0420(2020)。
[中川 重]
『『南陽市史』全5冊(1987~1992・南陽市)』
中国、河南(かなん)省南西部の地級市。漢水(かんすい)の支流、白河(はくが)の中流域の河谷盆地に位置する。2市轄区、方城(ほうじょう)、唐河(とうが)など10県を管轄する(2016年時点)。人口1010万7500(2016)。1949年、南陽県の市街地を分離して市が設けられた。市域は、南北に焦柳線(焦作(しょうさく)―柳州(りゅうしゅう))が、東西に寧西線(南京(ナンキン)―西安(せいあん))が通じ、南陽空港がある。伝統的工業の絹織物工業のほか、食品加工、機械、アルコール工業などが発展している。「南陽綢(ちゅう)(絹織物)」や「南陽玉器」が特産。農業や林業、漢方薬材の生産も盛んである。西郊の臥竜崗(がりょうこう)には、諸葛孔明(しょかつこうめい)(諸葛亮(しょかつりょう))を祀(まつ)った武侯祠(ぶこうし)がある。
[駒井正一・編集部 2017年12月12日]
山形県南東部の市。1967年宮内・赤湯両町と和郷村が合体,市制。人口3万3658(2010)。米沢盆地の北東端に位置する。北部は白鷹丘陵に属し,南部は吉野川の開析扇状地に続く最上川の沖積地が広がり,その東部に白竜湖をたたえる大谷地(おおやち)といわれる泥炭湿地帯がある。縄文・弥生時代の遺跡や,稲荷森古墳(史)などの古墳が残されている。大谷地の開発は江戸初期から始められたが,腰までつかる湿田の農作業は難渋をきわめた。第2次大戦後,灌水設備が整備されて乾田化が進み,穀倉地帯となった。吉野川上流域は中世以来,亜鉛などを採掘する多くの鉱山が開発され,明治以後も操業されたが,現在は閉山している。赤湯は赤湯温泉(弱食塩泉,68℃)を中心に発達した古くからの温泉場で,米沢街道の宿駅でもあった。もう一つの中心集落の宮内は吉野川に沿う谷口集落で,日本三熊野の一つという宮内熊野大社の門前町として栄え,明治以後は県下有数の製糸業の町であった。白竜湖北方の斜面は県内随一のブドウ産地である。赤湯駅でJR奥羽本線,山形新幹線と山形鉄道フラワー長井線が分岐し,赤湯で国道13号線と113号線が交差する。
執筆者:中川 重
中国,河南省南西,漢水支流白河に臨む都市。人口158万(2000)。宛と呼ばれた。交通の要衝にあり,西は関中,北に行けば洛陽,北東に進めば開封,東に向かえば淮水流域,南は漢水を経て長江(揚子江)に通じ,湖北,湖南,四川,江蘇と結ばれる。《史記》には〈夏人の居〉とあり,周は伯夷の子孫をここに封じて申とした。楚が申を滅ぼし,戦国時代には楚・韓・秦3国の国境となり,《漢書》地理志はここを韓地に区分している。秦が統一すると南陽郡が置かれ,その範囲は河南南西から湖北の北に及び,郡治は宛におかれた。不軌の民を移して開拓に当たらせ,漢初中国のフロンティアを形成した。戦国のころから製鉄業で知られ,漢代にも鉄官や工官がおかれ,絹織物業も盛んで,宛は五大都市の一つに数えられる。一方,豪族による大土地所有が進み,後漢の光武帝は南陽豪族の出身であり,それらの推戴を受けた。後漢時代に襄陽郡(襄樊(じようはん))が分置され,隋代に郡を廃し,唐代に宛州,元以後は南陽府となった。
執筆者:狩野 直禎
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…春秋時代の初め本省の北部には周の王家のほか,鄭・衛・宋・陳などの諸国が発展したが,戦国時代には韓・魏・宋の領土となり,南方から進出してきた楚の勢力と対立した。秦が天下を統一すると三川・潁川・南陽・碭(とう)の諸郡がおかれ,前漢には河南・弘農・河内・潁川・汝南・沛(はい)・陳留・南陽の諸郡,梁国などがおかれた。しかし,当時まだ本省の南部は開発が十分に進まず,淮河が漢民族の南方発展の前線だったようである。…
…承兌は諱(いみな),字(あざな)は西笑(さいしよう∥せいしよう)。号は月浦または南陽。詩文を仁如集尭に学び,のち夢窓派の中華承舜の法嗣となる。…
※「南陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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