押部保(読み)おしべほ

日本歴史地名大系 「押部保」の解説

押部保
おしべほ

明石川中流域の押部谷一帯に展開する保(庄)。江戸時代の押部村を遺称とする。建武三年(一三三六)九月五日、下揖保しもいぼ(現龍野市)地頭島津忠兼らは下端しもはた(現垂水区)の南朝軍を撃破ののち押部、志染しじみ(現三木市)で数日合戦し、二〇日には丹生たんじよう(現北区)に攻め込んだ(同年一〇月日「島津忠兼軍忠状」越前島津家文書)。暦応二年(一三三九)八月一三日大部おおべ(現小野市)預所尭賢と同庄公文尼性阿代朝親は南朝方の押部の「神沢左衛門尉之城」を攻撃している(一〇月二八日「僧尭賢軍忠状案」・一一月日「尼性阿代朝親軍忠状案」東大寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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