持広村(読み)もちひろむら

日本歴史地名大系 「持広村」の解説

持広村
もちひろむら

[現在地名]浅羽町浅名あさな

小口市場こぐちいちば村の南に位置する。寛永二一年(一六四四)の掛川預一万石郷村覚に村名がみえ、高九二石余。同年幕府領掛川藩預地、正保二年(一六四五)横須賀藩領となる。正保郷帳では同藩領、田方八四石余・畑方八石余、用光ようこう庵領一石。元禄一一年(一六九八)旗本皆川領となり(国立史料館本元禄郷帳など)、以降の領主変遷米丸よねまる村に同じ。「遠淡海地志」では家数八、九軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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