日本歴史地名大系 「摩湯村」の解説 摩湯村まゆむら 大阪府:岸和田市摩湯村[現在地名]岸和田市摩湯町・東(ひがし)ヶ丘(おか)町田治米(たじめ)村の東、松尾(まつお)川の左岸に位置する。元禄郷帳に「古ハ舞村」とある。年欠の久米多寺免田注文(久米田寺文書)に山直(やまだい)郷内の里名として「摩伊里」がみえるが、当地のことであろう。村高は古検高四〇五石余(元禄三年「免状」南家文書ほか)。延宝七年(一六七九)伊勢神戸藩による新検高は三八七石余(前掲免状)。この新検高が年貢徴収に採用されたのは元禄四年(一六九一)から。同九年新開高が高入され、以後三九〇石余で幕末に至る。天保郷帳で三九九石余となっているのは、新田・新開高九石弱を本高に加算しているからである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by