日本歴史地名大系 「撫川条・撫川郷」の解説
撫川条・撫川郷
なつかわじよう・なつかわごう
「和名抄」都宇郡撫河郷の郷名を継いだものか。
建久四年(一一九三)正月の吉備津宮神主賀陽氏の譲状(吉備津神社文書)で太郎法師に与えた地に撫川条内延包屋敷二段・同為末畠二段がみえる。福光撫川条、のち福光名と称される地の公文職を吉備津宮社家が相伝した。暦応三年(一三四〇)一〇月二一日の頼綱譲状(案、吉備津神社文書)で一族得法師丸に、応安元年(一三六八)には頼縄・秀縄から一族主計允成俊に(同年四月二〇日「遠縄書下写」同文書)、一時同社中番に預け置かれたのち応永一六年(一四〇九)には吉上所満成に譲られた(同一七年四月二二日「某補任状写」同文書など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報