日本歴史地名大系 「播磨塚」の解説 播磨塚はりまづか 愛媛県:松山市重信川北岸地域(旧久米郡・下浮穴郡地区)南梅本村播磨塚[現在地名]松山市北梅本町・南梅本町国道一一号に沿うこの近辺一帯には多くの小丘(群集古墳)があり、古くから来目部(くめべ)(久米部)小楯(おだて)の古墳と伝え、播磨塚とよばれた。陸上自衛隊の演習場、果樹園の開発によって群集古墳は破壊され、いまは小楯を祀った小祠と顕彰碑がわずかに昔の面影を伝えているにすぎない。小楯については、記紀に清寧天皇の時、在任中の播磨国で二皇子(のちの顕宗天皇・仁賢天皇)を発見し、その功績によって山部連(やまべむらじ)を賜ったとの記事を載せている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by