朝日日本歴史人物事典 「教勝」の解説
教勝
長屋王の娘。天平1(729)年の長屋王の変では,一族は自殺したり,縁座して処刑されたりした。しかし教勝は藤原不比等の娘(長娥子)が母であったため,特に死を免じられたと『続日本紀』天平宝字7(763)年10月条にみえる。教勝という名は出家名であろう。死を免された彼女は,おそらく出家して余生をすごしたと考えられる。なお正倉院文書の天平15(743)年2月の文書に,写経所が経典(『解深密教』『法華経』『薬師経』『金剛般若経』)を借りた人物のひとりとして教勝の名がみえる。この教勝もおそらく彼女のこととしてよいと思われる。
(吉田一彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報