デジタル大辞泉
「左大臣」の意味・読み・例文・類語
ひだり‐の‐おおいもうちぎみ〔‐おほいまうちぎみ〕【左大=臣】
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さ‐だいじん【左大臣】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 令制の官。則闕(そっけつ)の官である太政大臣を除いては、国家の中枢機関である太政官の最高の職。国政を総理する。右大臣の上席。江戸時代にも形骸化しながら存続したが、明治一八年(一八八五)一二月、内閣制の発足とともに廃された。ひだりのおとど。左相閤。左相国。左丞相。左相府。左相。左太閤。
- [初出の実例]「左大臣一人。〈掌下統二理衆務一。挙二持綱目一。惣中判庶事上〉」(出典:令義解(718)職員)
- [ 2 ] 特に、藤原時平(ふじわらのときひら)を指す。
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左大臣
さだいじん
(1)令制(りょうせい)太政官(だいじょうかん)の官職で、実質上の長官。右大臣とともに衆務を統理した。三公の一つ。定員は1名で、二位相当官。職田(しきでん)30町、食封(じきふ)2000戸、資人(しじん)200人が給された。その初見は『日本書紀』によれば645年(大化1)に任ぜられた阿倍内麻呂(あべのうちまろ)であり、671年(天智天皇10)には太政大臣など三大臣がそろって任命されたが、制度的に確立したのは701年(大宝1)の大宝令(たいほうりょう)によってであろう。官名は、唐の尚書省の左僕射(さぼくや)を倣って、それまでの大臣を左右に分けたことに由来するといわれるが、さだかではない。758~764年(天平宝字2~8)の間は大傅(たいふ)と称された。平安時代にも形式化した太政大臣に比して朝廷政務の責任者としての地位を保持し一上(いちのかみ)とよばれた。その後、武家政権下では名誉的存在であったが、1868年(明治1)に太政官制の廃止とともに廃された。
(2)明治初期の官職。1869年(明治2)7月の官制改革(二官六省)により再置され、71年8月三院八省制のもとでは正院(せいいん)を構成したが、85年に内閣制度が実施されて廃止された。
[佐藤宗諄]
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左大臣
さだいじん
1太政官の長官の一つ。定員1人。国政の全般を指揮し,弾正台(だんじょうだい)の糾正に誤りがあれば糾弾することを職掌とした。唐の尚書省の左僕射(さぼくや)を模した官とされ,左府とも称する。上席の太政大臣が職掌をもたない則闕(そっけつ)の官だったため,事実上の首席であった。官位相当は親王二品もしくは諸王・諸臣正従二位で右大臣と同じであるが,右大臣より上席に位置する。藤原仲麻呂政権下の一時期に大傅(たいふ)と改称したが,仲麻呂の失脚した764年(天平宝字8)に旧に復した。
21869年(明治2)7月,職員令により設置された太政官制下の最高官。天皇輔佐・大政統理・官事総判を官掌した。島津久光・有栖川宮熾仁(たるひと)親王が任じられ,85年廃止。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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左大臣
さだいじん
(1) 律令制下,太政大臣不在の場合に,太政官の政務を支配した官。一の上 (かみ) ともいう。大化1 (645) 年に初めて設けられ,阿部内麻呂が任じられた。太政大臣,右大臣とともに三公といわれ,二位相当官で位田,職田などを賜わり実権をもっていたが,中世以後は儀式的な存在となった。 (2) 明治2 (1869) 年7月8日制定の職員令により,太政官に設けられた官職。太政官の長官として右大臣と対置された。職掌官位は右大臣と同一で定員は1名。同4年7月 29日の官制改革により一時名称が削除されたが,同8月 10日の改革により,正院「三職」の一つとして復活した。 1885年 12月 22日,太政官達 69号による内閣制度の発足とともに廃止。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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さだいじん【左大臣】
群馬の日本酒。酒名は、平安末期の左大臣・藤原常房の子でこの地に住んでいた尾瀬三郎の愛称「尾瀬の左大臣」にちなみ命名。大吟醸酒、純米酒、本醸造酒、普通酒がある。平成25年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は若水など。仕込み水は尾瀬の伏流水。蔵元の「大利根酒造」は明治35年(1902)創業。酒造りの始まりは江戸中期までさかのぼる。所在地は沼田市白沢町高平。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
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左大臣
さだいじん
律令制下,太政官の政務を統轄する長官
一上 (いちのかみ) ともいう。大化の改新の際に阿倍内麻呂が任じられたのが最初。律令制では太政大臣につぎ右大臣よりも上位。明治維新後に復活したが,1885年内閣制度の創設で廃止された。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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左大臣
群馬県、大利根酒造有限会社の製造する日本酒。純米酒、純米吟醸酒などがある。
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