数久田村(読み)しつたむら

日本歴史地名大系 「数久田村」の解説

数久田村
しつたむら

[現在地名]名護市数久田(すくた)

名護(なぐ)間切の南西に位置し、北は世富慶(ゆつき)村。シッタといい、地名は湿地の田に由来するという。南東の久志(くし)岳(三三五・一メートル)・辺野古(へのこ)岳(三三二メートル)から流れ出る轟(とどろき)川(数久田川)の下流右岸の低地に集落が立地する。村は名護(なご)グスクから轟の滝近くの松堂(まつどー)に移住して成立し、苗代屋・根神屋などが草分という(名護六百年史)。「中山伝信録」琉球地図に載る山北省の項に松堂がみえ、「轟泉あり」と記される。数久田村の脇地頭は松堂の名を与えられ、同治四年(一八六五)と同六年に脇地頭職を与えられた呉健慎(三世舒厚)と呉宗仁(四世舒仁)は松堂を名乗っている(譜代呉姓家譜)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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