士族(読み)シゾク

デジタル大辞泉 「士族」の意味・読み・例文・類語

し‐ぞく【士族】

明治維新後、もと武士階級に属した者に与えられた族称。華族の下、平民の上に置かれた。第二次大戦後に廃止。

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精選版 日本国語大辞典 「士族」の意味・読み・例文・類語

し‐ぞく【士族】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 士分の家柄。武士の家柄。また、その人。
    1. [初出の実例]「農賈の子ともは世に云ふ寺子屋へ遣はすこともちろんなり。士族(シソク)の子は然るべからず」(出典:授業編(1783)一)
    2. [その他の文献]〔顔氏家訓‐文章〕
  3. 明治維新後、武士階級だった者に与えられた身分の呼称。華族の下、平民の上に位し、戸籍に記されたが、法律上の特典はなかった。第二次世界大戦後、廃止。
    1. [初出の実例]「一門以下平士に至る迄総て士族可称事」(出典:行政官達‐明治二年(1869)六月二五日)

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改訂新版 世界大百科事典 「士族」の意味・わかりやすい解説

士族 (しぞく)

明治維新後,旧武士階級に与えられた身分族称。1869年(明治2)6月の版籍奉還後,公卿や諸侯らが華族と称されたのに対し,藩士は一門以下平士にいたるまですべて士族と称した。このうち微禄の者は同年12月に卒とされ,士族は18等,卒は3等に分けられた。この士族のもとに,農工商は平民と称せられた。72年1月,卒は廃止され,世襲の卒は士族へ,一代抱えの卒は平民に編入された。ここに華族・士族・平民の3階級(身分)に国民は分けられたのである。ちなみに73年1月現在での士卒合計は,40万8823戸,189万2449人とされている。

 1871年の廃藩置県以降,士族の特権は徐々に廃止され,73年1月の徴兵令や76年の廃刀令で士族の軍事独占的地位は失われ,73年以後の家禄奉還秩禄処分,とりわけ76年の金禄公債証書発行条例は士族の経済的特権を奪い,多くの士族は生活に窮した。この特権喪失や明治政府の政策に批判・不満をもつ士族は相ついで反乱し,77年の西南戦争まで続いた。他面,その批判を自由民権運動に向ける士族も少なくなかった。また知識人として士族的矜持をもち,官・政界,軍人,学界,実業界,宗教界等の指導者になった者も多かった。しかし秩禄処分への不服はその後も尾を引いたため,政府は1897年,家禄賞典処分法(法律第50号)を公布し,1905年までに12万2000余件,29万2000余人の請願処理をした。1914年の戸籍法の改正で身分登記制は廃止されたから,以後の士族称呼はたんに家系が武士であったことを示すにとどまったが,敗戦後の1947年の戸籍法の全面改正で法的には士族称呼は完全に消滅した。
士族反乱
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「士族」の意味・わかりやすい解説

士族
しぞく

明治維新後、新政府が旧武士に与えた身分呼称。1869年(明治2)版籍奉還とともに、旧来の四民(士農工商)からなる身分秩序の整理が開始された。旧公卿(くぎょう)と諸大名の藩主が華族に、旧幕臣、諸藩藩士、神官、寺院などの家士たちが士族に処せられた。翌年、士族の下層であった足軽(あしがる)などを卒族としたが、反対運動があったため、72年に彼らのなかで世襲の者を士族に、一代限りの者を平民に分属させて、卒族の呼称を廃止して、士族身分を確定した。73年当時、その数約41万戸弱、人口約189万人強であった。士族の身分は華族に次いで、平民の上に位置づけられ、また当面、家禄(かろく)や帯刀などの封建的特権が許されたこととも相まって、平民に対する彼らの感情を満足させた。一部には、政官界・学界・軍部などで指導者としての役割を果たし、また商工業の分野に進出した例もあったが、徴兵令、廃刀令、秩禄(ちつろく)処分などを経て、その政治・社会的地位は失われ、没落した者が多かった。生計の手段を失った士族のなかで、職人、教員、邏卒(らそつ)になったり、塾経営者に転身した者などはまだ成功したほうで、「士族の商法」に従って商売を始め失敗した場合も多かった。困窮士族のなかには、貧民街に住み日雇い人夫や乞食(こじき)になったり、強盗や自殺者までも出した例がある。新政府は、金禄公債を与え、資金を貸し付けて失業士族の授産政策を進めたが、彼らを救済することはできなかった。その結果、没落不平士族の不満は蓄積され、西南戦争に至る士族反乱に加わり、また1870年代に始まる初期の自由民権運動の担い手の一部になって活躍した者もあった。1947年(昭和22)戸籍法の改正により、士族は他の身分呼称とともに廃止された。

[石塚裕道]

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百科事典マイペディア 「士族」の意味・わかりやすい解説

士族【しぞく】

明治維新後,旧武士階級に与えられた族称。版籍奉還に際し,政府は諸藩士,幕臣などを士族,足軽などを卒族とし,1872年卒族を士族と平民に再編,全国民を皇族・華族・士族・平民の四族称に分けた。当時の士族数約189万余。士族の称は旧支配階級の優越感を満足させたが,実質的特権は徴兵令秩禄処分,廃刀令などの近代化政策により消滅,現行憲法下の戸籍法により法制的にも消滅した。→士族反乱
→関連項目金禄公債士族授産四民平等西南戦争廃刀令立志社

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「士族」の意味・わかりやすい解説

士族
しぞく

明治維新後の旧武士階級に対する族称。明治新政府は,封建的諸制度の撤廃を目指したが,政治,行政上の人材源でもあり,また活動層でもあった旧武士階級の特権存置をはからざるをえず,明治2 (1869) 年6月,版籍奉還ののち旧公卿,大名を華族御目見 (おめみえ) 以上の幕臣や諸藩一門以下平士までを士族,同心以下足軽層を卒族 (→ ) と呼び,平民の上に位する身分を与えた。翌年,卒族中世襲であったものを士族とし,他を平民に編入して卒族を廃止した。しかし,廃藩置県 (1871) ,秩禄処分 (75) ,金禄公債条例発布 (76) などにより,士族はその経済的な特権を失うにいたり,その身分的特権にもかかわらず経済的没落をとげ,この過程で多数の士族暴動が起った。 1914年戸籍法改正により身分登記制も廃止され,第2次世界大戦後,日本国憲法発布に伴い,47年の戸籍法全面改正によって士族の名称は廃止された。

士族[ポーランド]
しぞく[ポーランド]

「シュラフタ」のページをご覧ください。


士族[ロシア]
しぞく[ロシア]

「ドボリャニン」のページをご覧ください。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「士族」の解説

士族
しぞく

明治維新後,旧武士階級に与えられた身分呼称。1869年(明治2)6月公卿・諸侯を華族,一門以下平士以上の藩士を士族とし,同年12月には旧幕臣も含めてすべての士分を士族または卒とし,従来の石高に応じて家禄が給されることになった。72年に卒が廃止され,国民は華族・士族・平民の3身分となったが,士族・平民間の法的な身分上の差異はなくなり,さらに秩禄処分・廃刀令などで旧来の特権も廃止され,多くの士族が没落し士族反乱などもおこった。その後身分としての士族は形骸化し,1947年(昭和22)の戸籍法の全面改正により士族の呼称は消滅したが,士族的な精神はさまざまな意味で近代日本国家の形成に重要な役割をはたした。

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旺文社日本史事典 三訂版 「士族」の解説

士族
しぞく

明治維新後に旧武士に与えられた身分呼称
1869年版籍奉還とともに旧武士とその家族は華族の下,平民の上位として士族とされた。'70年旧足軽以下の士族は卒族としたが,'72年これを廃して世襲の卒は士族に,一代限りの卒は平民に属させた。'73年初めには士族40万8000余戸,189万余人であった。一部は官界・軍部などの指導者となったが大部分は没落。一部は士族反乱や自由民権運動に参加した。1947年戸籍法改正により廃止。

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普及版 字通 「士族」の読み・字形・画数・意味

【士族】しぞく

読書人。

字通「士」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の士族の言及

【郷士】より

…彼らの給地は多くは1石程度であった。 1872年(明治5)太政官布告により郷士の多くは士族となった。【木村 礎】。…

【四民平等】より

…明治維新期,従来の士農工商などの封建的身分制を廃した政策。しかしこれで身分制はなくならず,華族士族平民に再編成され,被差別部落民も残存された。その過程は,1869年(明治2)6月版籍奉還にさいし公卿・諸侯(旧藩主)を華族に,平士以上の藩士などを士族としたことに始まる。…

【立身出世】より

…これに対しただちに人々が呼応したことは,福沢諭吉の《学問のすゝめ》やS.スマイルズ(中村正直訳)の《西国立志編》が爆発的なベストセラーになったことにみることができるが,そのようなすばやい呼応はすでに江戸時代にかなりの上昇移動意欲が潜在していたからである。 1872年(明治5)の学制施行の際出された就学告諭に見られるように,明治以後は立身出世は教育と結びつけて喧伝されたから,その担い手は士族の子弟を中心にして広がった。士族は知識階級であり,教育による立身出世の準備的条件があったからである。…

※「士族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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