敷浪村(読み)しきなみむら

日本歴史地名大系 「敷浪村」の解説

敷浪村
しきなみむら

[現在地名]志雄町敷浪

加賀藩領敷波しきなみ村の南に接し、西は日本海に面する。内浦街道が集落中央を通り、家並は南の宿しゆく(現押水町)に連なる。当初加賀藩領敷波村の内であったが、慶長一一年(一六〇六)土方雄久領となり、土方雄久知行目録に敷浪村とみえ、高九六三俵、うち荒五一二俵余、残りの三割五歩が百姓得分。貞享元年(一六八四)幕府領となり、享保七年(一七二二)加賀藩預地となって明治に至る。加賀藩領敷波村を「ナミ」というのに対し「ナミ」と通称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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